もういくつ寝るとお正月〜♪ お正月には餅食べて〜駒を回して遊びましょう♪
という歌を聞くと、あ〜お正月だな!お正月にはお餅とおせち料理を食べて、初詣に行こう!
と思っている人はいても、由来や歴史についてや、伝統的な食べ物はどんな意味があって食べているのか知っている人は少ないのではないでしょうか?
この記事では、お正月の由来や歴史、伝統的な食べ物についてご紹介していきます!
お正月は、家族にとってとても大切な行事であるとともに、私たちが古来より大切に受け継いできた日本人としての原点を感じられる行事でもあります。
お正月についての知識を深め、自分たちの文化をきちんと理解し、楽しみながら次のお正月を迎えましょうね!
は〜やく、来い来いお正月〜♪
1.お正月の由来
お正月は、仏教が日本に伝わった6世紀頃よりも前から存在する、日本で最も古い行事です。
古来日本では、その年の最初の日である1月1日に年神様(としがみさま)がやってくると考えられており、元日には年神様をお迎えし、お祝いをするための行事が行われていました。
年神様は子孫繁栄や五穀豊穣をもたらす神様で、「歳徳神(としとくじん)」や「正月様」とも呼ばれます。おもてなしをすることで、1年の健康や幸せを授けるとしていました。
神様をお迎えするために、おせち料理や初詣などさまざまな正月行事が行われるようになりました。
1945年頃までは、お正月に全国民が歳をとる「数え年」の習慣があり、日本人は、年を重ねるお祝いと神様がやってくるお正月を、一年で一番おめでたい日だと考えていたのです。
2.お正月の期間は?
日本のお正月は、旧暦ではなく新暦です。
元々は、1月1日から1月31日までの1ヶ月間をお正月と呼んでいました。
お正月の期間は、「元日(がんじつ)」と呼ばれる新暦の1月1日から「松の内(まつのうち)」と呼ばれる7日までです。松の内が過ぎると正月飾りを片付けるため、一般的には1月1日から7日までがお正月と認識されているのです。(地域によって関東は7日まで・関西は15日までと異なるところもあります)
1月1日から1月3日までの間は「三が日」と呼ばれ、初詣に行ったり、書き初めをしたり、おせち料理やお雑煮といった行事食を食べたりするなど、新年にふさわしい習わしとともに過ごします。
1月15日までが小正月といいます。
3.「正月」の意味は?
お正月の「正」には、「年の初め」「年があらたまる」という意味があり、「たましいが若返り、新しくなる」一年のはじめの月ということです。
4.「元日」と「元旦」って違うの?
「元日」は、1月1日の”丸1日”を、「元旦」は1月1日の”午前中”を指します。
「旦」という字は、太陽を表す「日」と地平線を表す「一」から成り立っており、初日の出が昇った朝から午前中までの間と覚えてくださいね。
年賀状を出す場合は、1月1日に届けば「元旦」でも「元日」でもどちらでも使えます。
1月1日に届かない場合は、元旦も元日もそぐわない言葉なので、25日以降に投函する予定で、年賀状を作る場合、迎春や新春などの表現を使ったほうが無難です。
5.お正月飾りの歴史は?
5-1.門松と鏡餅の歴史
門松や鏡餅が飾られるようになったのは江戸時代頃でした。
一般庶民でも門松や鏡餅を手軽に入手できるようになったので、このような慣習が定着したのです。
古くから、松の木は神様の宿る木として伝えられており、年神様がいらっしゃる目印にするとされていました。古くは庭先に一本松を置いていましたが、やがて門に雄松と雌松を左右一対に並べるようになり、さらに縁起物の竹や梅が添えられるようになりました。
門松を飾っておく期間が、すなわち年神様のいらっしゃる期間となるので、1月7日の「松の内」の間は飾っておく家庭が多いです。
鏡餅は、年神様へのお供えものであり、依り代でもあると言われています。
なぜ「鏡」と言われているのか、その由来は弥生時代までさかのぼります。鏡は丸い形の銅鏡で、日の光を反射し太陽のように輝くことから、鏡は神様が宿るものととらえられるようになり、「鏡」を模して作られたのが鏡餅といわれています。
5-2.しめ縄の歴史
しめ縄は神の領域と現世を分け隔てる「結界・境界」として、不浄なものが入るのを防ぐという役割を担うものです。
しめ縄の由来は、古事記にある日本神話の「天岩戸(あまのいわと)」伝説がルーツであると言い伝えられています。その昔、太陽の女神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴な行いに怒り、天岩戸に隠れてしまいました。世の中が暗闇に包まれてしまったため、天照大御神を神々が連れ出した際「もう岩戸に戻らないように」と岩戸にしめ縄をつけたそうです。
このエピソードから、しめ縄は「神様のテリトリーを守る印」として使用されるようになりました。
しめ縄がある場所には不浄のものや悪霊が入らないとされているため、魔除けのような役割もあります。
昔の人は、ご先祖様の霊が山や田んぼの神となり、お正月に年神様になってやってくると信じていました。その風習から、神様をお迎えするためにふさわしい場所であることを示すために、しめ縄を飾り、神聖な場所に整えているのです。
しめ縄・しめ飾りは何が違うの?
しめ縄は、前述したとおり、神様をお迎えし神聖な場所であることを示し、神の領域と現世を分け隔てる結界の役割です。
神棚は一年を通して飾っておくのが一般的です。取りかえる時期に決まりはありませんが、年末の大掃除にかえ、どんど焼きで処分します。
しめ縄の縄=雷雲、4枚の白い紙は紙垂(しで)といい=雷、米俵のようなたれ下がっているもの=雨を表しており、五穀豊穣を願います。
しめ飾りは、しめ縄を縁起物で飾りつけたものです。お正月だけに年神様をお迎えするために飾ります。
しめ飾りや門松・鏡餅などの正月飾り(正月用のしめ縄)は、松の内の期間に飾り、12月13日から始まります。12月13日は正月事始め(しょうがつことはじめ)といい、お正月の準備を始める日です。
一般的には、25〜30日までには飾ります。また、29日は「二重に苦しむ・二度苦しむ」、31日は「一夜限り」といって神様に失礼ですので避けた方がよいです。28日は末広がりの8が末尾のため、縁起が良い日とされます。
しめ飾りに使われる飾りにはそれぞれ意味があります。
●橙(だいだい)➖代々繁栄しますように。 ●裏白(うらじろ)➖裏表のない清らかな心で一年を過ごせますように。 ●ゆずり葉➖子孫が途絶えないように。 ●昆布➖喜ぶにかけて縁起が良いとされています。
6.伝統的な食べ物
6-1.おせち料理の歴史
お正月に迎え入れる年神様におもてなしの1つとして、お供え料理を作ったものがおせち料理です。
始まりは、弥生時代です。狩猟中心から稲作の習慣が根付き、農耕中心の社会に変わった時代です。中国から節を変わり目とする暦が伝わり、神様に自然の恵みや収穫に感謝する風習が誕生しました。
さかのぼること約1000年前、奈良時代から平安時代には、暦に合わせて儀式を行う習慣が定着し、天皇が行う宮廷行事となり、「節会(せちえ)」という宴会を開いていました。
特に「五節会」と呼ばれる1月1日の元日、1月7日の白馬(あおうま)、1月16日の踏歌(とうか)、5月5日の端午(たんご)、11月の豊明(とよのあかり)は重視されていました。
五節会における祝い料理が、現在のおせち料理にあたり、当時は「御節供(おせちく)」と呼ばれていたそうです。
宮中で行われていた行事が民衆の間にも広がり、徐々に生活の中に取り入れられ、重箱に料理を詰めるようになったのは、江戸時代後期に入ってからのことでした。
正月の三が日は、かまどの神様に休んでもらう、主婦を家事から解放するなどの理由から、保存がきく食材を中心に構成されています。
江戸時代では、五節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)が幕府によって正式に祝日と制定され、幕府の公式行事となりました。それにより庶民の間にも御節供が浸透しはじめ、山の幸や海の幸を盛り付けた豪華なおせち料理をいただく風習が定着しました。
その中でも最も重要なお正月に出す料理を豪華に用意するようになり、それが「おせち料理」となったのです。
重箱の段数は?食材は?食材の意味はあるの?
縁起物であるごちそうを重箱に詰めることで、「幸せを重ねる」「福を重ねる」という意味合いがあります。
正式な段数は四段重となります。上から順に一の重、二の重、三の重、与の重と呼ばれます。
一の重には、祝い肴(いわいさかな)と呼ばれる前菜料理を詰めます。関東では黒豆、数の子、田作りなど、関西では黒豆、数の子、たたきごぼうなどを詰めるのが一般的です。そのほか、口取り肴といわれる伊達巻きや昆布巻き、きんとん、紅白なます、紅白蒲鉾などを詰めます。
二の重には、焼き物を詰めます。鯛の姿焼き、海老の焼き物など海の幸を使った焼き物が中心です。
三の重には、山の幸を使った煮物をたっぷり詰めます。里芋やこんにゃくなどを煮詰めた煮しめ・筑前煮は定番です。
与の重には、野菜を使った酢の物、紅白なますや菊花かぶなど、箸休めとなる料理を詰めます。三の重に入りきらなかった煮物を少し入れる場合もあります。
五段重とする場合、五段目の重箱は予備として空箱とすることもあります。
来年はこの箱に料理を詰める余地がある=来年はさらに栄えるという願いが込められます。
おせち料理に使われる食材にはそれぞれ意味があります。
●黒豆➖無病息災、黒く日焼けするほどマメに働けるように。 ●数の子➖子孫繁栄。 ●田作り➖いわしを肥料とし、豊作になったことから五穀豊穣を願います。 ●ごぼう➖地中深くに根を張るため、家庭や家業が地域に根づくことを祈ります。 ●紅白かまぼこ➖赤色は邪気除け、白色は神聖さを表しています。 ●昆布巻き➖「喜ぶ」にかけて縁起が良いとされています。 ●栗きんとん➖漢字で「金団」と書くことから金運の縁起物。 ●紅白なます➖祝い事に使用する水引に形が似ており、平和や平安を願います。 ●伊達巻き➖巻物に似ているころから、学業が豊かになることを願う縁起物。 ●錦卵➖卵の黄色と白色とが金銀の2色を表しています。 ●鯛➖「めでたい」との語呂合わせ、恵比寿様が持っている魚と七福神信仰にも繋がっています。 ●車エビ➖長いヒゲや腰が曲がっていることから、長寿祈願。 ●鰤(ブリ)➖出世魚であり、立身出世を願う意味が込められています。 ●はまぐり➖しっかりと重なり合うものがひとつしかないことで、夫婦円満を願います。 ●かぶ➖菊の形に飾り切りし、国花であり祝い事で使われるため、おせちに花を添えます。 ●里芋➖種芋に小さな子芋がつくことから、子宝を願う縁起物。 ●こんにゃく➖ねじれた手綱のような形に結び、「縁を結ぶ」「良縁」の願いが込められています。
6-2.お雑煮の歴史
お雑煮の歴史は古く、平安時代からすでに食べられていたと言われています。
お餅は農耕民族である日本人にとって、「ハレの日(特別な日)」に食べるおめでたい食べ物でした。里芋やお餅、人参、大根などを、その年の最初に井戸や川から汲んだ若水(わかみず)と、新年初めての火で時間をかけて煮込み、元日に食べたのが始まりだと言われています。
正月に年神様をお迎えするために、前年に収穫したお米から作ったお餅をお供えし、そのお下がりとしてお雑煮を頂くということから始まり、年神様の恩恵を頂くという意味で食べられていました。
「煮雑ぜ(にまぜ)」と呼ばれており、肉や野菜など色々な種類の具材を煮て、食されたというのが「雑煮」の語源です。
室町時代の武士の間では、お雑煮は縁起の良い食べ物として宴の最初に食べられていたそうです。
また、武家社会とは別に、一般庶民でも同時期にお雑煮を食べる様子が見られるようになりますが、当時はお米の値段が高かった理由から里芋を代用していました。江戸時代ではお米の値段も安定し、一般庶民もお餅が食べられるようになり、お雑煮にも入るようになりました。
お雑煮に使われる食材にもそれぞれ意味があります。
●お餅➖丸餅は、家庭円満。 角餅は、土蔵が建つことから家が栄える。 のし餅を切った角餅は、敵をのす=倒す、退治する。 よく伸びるため、長生きの象徴。 ●里芋➖子孫繁栄。 ●大根➖角が立たないように丸く切って、家庭円満。 ●人参➖赤色は魔よけの効果。
6-3.年越しそばの歴史
始まりは江戸時代とされています。
商家では忙しい晦日(月末)に食事を簡単に済ませるために、そばを食べる風習がありました。それが「年越しそば」になったといわれています。
そばは細く長いので”長寿や健康を願う縁起物””そばのように家族の縁も細く長く続くように”とされ、切れやすいので”今年一年の災厄を断ち切って新年を迎える”という意味も込められています。
6-4.七草粥
お粥に、春の七草と呼ばれる、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの7種類の野草が入ったものを「七草粥」といいます。1月7日に食べるのが習わしです。
奈良時代の頃、日本に伝わったといわれています。五節句の一つで、七草の日にあたる人日の節句です。奈良時代に雪の間から出た新芽を摘み植物の生命力をいただく「若菜摘み」という風習がありました。
一方、古代中国では、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人、8日は穀の日と定め、それぞれの吉凶を占っていました。人が該当する7日は「人日の日」とされ、「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」という汁物をいただき、無病息災や立身出世を願ったと言われています。
中国から人日の日が伝わり、日本の若菜摘みの風習と結びつき「七草粥」が生まれました。また、正月料理のごちそうで疲れた胃腸を休めるという意味も含まれています。
七草粥は平安時代の宮中行事でしたが、江戸時代には庶民の間へ広まったとされています。
七草粥に使われる野草にもそれぞれ効能があります。
●せり(セリ科)➖香りがよく、食欲の増進が期待できます。 ●なずな(アブラナ科)➖別名ぺんぺん草と呼ばれ、解毒作用があると言われています。 ●ごぎょう(キク科)➖別名ハハコグサと呼ばれ、喉の痛みや咳を和らげると言われています。 ●はこべら(ナデシコ科)➖ビタミンが豊富で、虫歯予防や痛み止めによいと言われています。 ●ほとけのざ(キク科)➖食物繊維が豊富で、皮膚炎の改善に役立つと言われています。 ●すずな(アブラナ科)➖カブのこと、消化促進・解熱作用があると言われています。 ●すずしろ(アブラナ科)➖大根のこと、消化促進・風邪予防によいと言われています。
6-5.鏡開き
松の内が過ぎた1月11日は、鏡開きの日になります。飾っている鏡餅を下げ、好きなように調理をして食べます。
飾っている間には年神様が宿るため、その鏡餅を食べると縁起がいいといわれています。
7.まとめ
この記事では、お正月の由来や歴史・食べ物の意味についてご紹介しました!
お正月は、さまざまな願いが込められており、家族にとってとても大切な行事であるとともに、大切に受け継いできた日本人としての原点を感じられる行事でもあります。
ひとつひとつの意味を理解することで、より特別なお正月を迎えることができるのではないでしょうか。
のちの世代に伝えていくためにも、自分たちの文化をきちんと理解し、それを楽しみながら家族で次のお正月を迎えましょうね!
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